のこる

 

「ええか、米粒の一つも残したらあかんで。」

 私がまだ小学校に上がりたての頃、おじいちゃんが食卓でよく私に言っていた。

「米粒一つ一つにもなあ、生きてきたストーリーっちゅうもんがあんねんで。ドラマがあるんや。命のドラマを、無下にしたらあかん。ええな。」

 私は別に好き嫌いが多いわけではなかったが、きれいに食べる、ということをまだよく覚えていなかった頃はしょっちゅうそうやって叱られた。大人になって、「無下」という言葉の意味が分かるようになってからは、より「ドラマ」とやらを意識するようになった。

中学生か高校生の頃、食べる側の立場の癖にドラマだなんて何を偉そうに、と思ったことがある。

でも、今ならわかる。

食べられるはずだったのがお椀やお皿の上に取り残されて終わるのは、私たちの胃にちゃんと入るよりも、ずっと惨めなことなのだ。

 スーパーで買ったばかりの、廃棄寸前だった幕の内弁当は、どれだけレンジで温めてもちっとも温まらないような気がして、弁当の蓋の裏の水滴でびちゃびちゃになった唐揚げの衣を見ると、私までぼろぼろと崩れていってしまいそうになる。足ががたついたテーブルで、座布団の上に縮こまりながら、私は弁当を食べる。無我夢中にでもなく、かといって漫然とでもなく、ただ丁寧にお箸を口に運び続ける。今日は月のない夜だ。曇っているのか新月なのかは知らないけれど、目の下が涙ではちきれそうな私を、余計な光が照らさなければ、それでいい。

 少なくとも、私はこの世にこれ以上、のこりものを増やしてはいけない。

 

 職場の社員食堂は、今年いっぱいで閉まるらしい。

 利用者が減り、採算が取れないから、という旨の説明文が、配膳口近くの四角い柱に貼られていた。ありふれていて、悲しい理由だな、なんて思いながら、私はその責任の一端が私の肩にも乗っていることを自覚する。おじいちゃんの声が頭にこだまする。おじいちゃんはもう10年も前に亡くなったのに、しゃがれがかっているのが気にならないほど力強いおじいちゃんの声は、未だに鮮明に私に刻まれている。

 米粒一つ一つにもなあ、生きてきたストーリーっちゅうもんがあんねんで。

ドラマがあるんや。

この食堂には、どんなドラマがあったのだろう。考えなくてもいいことだと分かっているのに、つい思考が飛んでしまう。ものが目の前で「無下」に捨てられていくのを、目の当たりにしたくはない。

いつだってそうだ。今は少しだけ、敏感になっているだけなのだ。少しだけ。

片手で手に取ったプラスチックの厚いお盆には、目で見ても触っても分かる水滴がついていた。このお盆をとるのがいつぶりだったか、私は思い出せない。いつもだったら、同僚の知紗子とか、詩織とか、早苗とかと弁当を広げるのだが、今日は適当なことを言って輪から外れた。今朝弁当を作る気力はなかったし、ビビッドな色で、小さくて、綺麗なお弁当たちに、コンビニ弁当を並べる勇気もなかった。それに、こういう時に限って詩織あたりが、

「花奈ちゃん、最近勇作さんとどうなのよぉ」

なんて、悪戯をするときの子供のような眼を光らせて、聞いてくるに違いないのだ。

 勇作が浮気をしていた、というだけでは、勇作に「捨てられた」ことにはならない。問題なのは、2番目だったのは私の方だ、ということだった。ここ1年の間、ずっと。それが私と勇作の共通認識になった途端、そこから先は、悲しみの入る余地のないほど速かった。私は、トカゲのしっぽだった。

 はずれではあるまい、という理由で選んだカレーライスを待ちながら、私は自分の所在についての考えに嵌っていく。捨てられたということ。私自身だけではなく、私が勇作と、それなりの幸福を紡いできたはずの1年間――「ドラマ」すら、顧みてはもらえなかった。そして、私は残っている。勇作どころか、誰のそばでもない、どこか暗い場所に。誰かに見てほしい、といたずらに抱きかかえた、1年間の思い出の欠片と二人ぼっちで。

「大丈夫?」

 はっと気が付くと、私は知らない間に俯いていた。カレーライスは礼儀正しくお盆に載っていて、白い帽子に髪の毛を1本残らず覆い隠したおばさんが私の顔を覗き込んでいる。

「失恋? まあ元気だしなね。お姉ちゃんくらい若ければ、まだ全然取返しが効くからさ。」

 おばさんは、配膳口から身を乗り出して、真っ赤な福神漬けを多めにくれた。福神漬けはそんなに好きじゃないんです、とは、言えなかった。

 

 いくら採算が取れない食堂とはいっても、12時過ぎのこの時間に全くの無人であるということはなかった。

 水を取って席を見ると、大野君がいた。顔の輪郭に比べてあまりに大きな、それでいて少年のようにキラキラして眼の大野君は、漫画か何かのような分かり易さで美味しそうに唐揚げを頬張っていた。誰もいないテーブルもちらほらあるのに、私は吸い寄せられるように大野君のいるテーブルへ足を向けた。

 大野君は、私のいる課では数少ない、私の後輩だった。仕事の出来具合は普通だったが、屈託のない笑顔と、二十歳を超えているとは思えない溌剌さが、天性の魅力だった。そこに存在している、というだけで、人が集まってくる大野君。捨てられること、取り残されることとは無縁の生活。

「あ、芹沢さん! お疲れ様です!」

 大野君は泡を食ったように口を押さえながら言った。そんな気分ではこれっぽっちもないのに、本能的に口角が少し上がるのが分かる。

「お疲れ様。ここ、いいかしら。」

 全然、という大野君の返事の前に、私はもう大野君の斜向かいの席に腰を下ろしていた。

「今日は間瀬さんとかと一緒じゃないんですか?」

 間瀬、というのは詩織の苗字だ。

「うん、ちょっとね。」

 ふぅん。とだけ言って、大野君は目線を白米に戻した。大野君は私の表情だったり声の調子だったりで何かを察したりはしない。できない、のかもしれない。しかし、下手に気付いて、悪意のない、でも棘を取り忘れられた言葉を投げかけられるよりましだった。

 私は無言で手を合わせ、冷たいスプーンを福神漬けに向ける。苦手なものは先に食べる習慣なのだ。

 大野君はさっきから、どの瞬間を切り取っても美味しそうにご飯を食べている。680円の唐揚げ定食は、もう唐揚げ2切れと白米少しを残すのみとなっていて、漬物があったと思われる小鉢からレタスの1欠けに至るまで、一つ残らず消え去っていた。

 心地よい、落ち着きのある美しさ。何も不条理に残されない空間。

「食べ方きれいなのね、大野君。」

 思わず出た言葉は、思ったより平坦に響いた。カレーと白米の中間あたりでスプーンが止まる。

「え、そうですか。」

「だってほら、お皿、全部きれいじゃない。」

「ああ、そうですかね。初めて言われました。」

 大野君の返答は、他人事みたいにからっとしていた。

「私もよく言われたわ、米粒の一つも残すな、って。」

 言いながら私は米の塊を掬う。カレーを食べるとき、下手に途中で水を飲むと、辛さがかえって際立つだけだ、と何かの記事で読んだ気がする。

「米粒一つ一つにも、ストーリーがあって、ドラマがあるんですって。何百何千のドラマを棒に振らないように、ってことらしいわ。言い得たもんよね。」

 私は米を口に入れる。何十何粒かのドラマが、私の口の中で昇華されてゆく。

「へえ、ドラマか、面白い発想ですね。」

 大野君は例の屈託のない笑顔で言い放った。邪気のない笑顔というのは、ときに信じられないくらい鋭い刃になる。

「僕も親に躾けられはしたんですがね。」

 大野君は愛おしそうに茶碗に箸を伸ばす。大野君の白くて細い指。「躾」の成果は、洗練された箸の持ち方によく表れていた。

「うちの親は、感謝して食べなさい、って。1日3食、命をありがとうなんだよ、って。」

 私は黙ってカレーにスプーンを沈める。福神漬けで赤く染まりかけた米が、豚肉の出汁の詰まった海に溺れる。

「子供のころは正直よく分からなかったんですけどね、とりあえず、ありがとうっていう言葉には間違いはないだろう、って思うことにしてたんです。ここにいてくれてありがとう、出逢ってくれてありがとう、って言われて、嬉しくない人って、いないじゃないですか。多分。」

そう言って、大野君は待ちきれなかったとばかりに、とびきりの笑顔で白米を頬張った。

 大野君の「ありがとう」は、朗らかで、さらっとしていて、それが余計に心に沁みる。心の中で、出逢った全ての人に、食べ物に無償の「ありがとう」を言うことを自分に課しているのに、義務とか責任とかいう重圧はそこには一切見えない。

 大野君も私も、食べ物を残さない。大野君は「ありがとう」があるから。私は――かつては米粒一つ一つに宿る「ドラマ」を無下にしないためだったかもしれない。けれど、今は多分違う。

自分が捨ててしまったら、残してしまったら、自分が捨てられたり残されたりしてしまうのが、途轍もなく怖いから。

「ありがとう、か。」

 最後に言ったのはいつだったか覚えていないほどありふれたその言葉を、改めて呟いてみる。こういうありふれた言葉にこそ、きっと魔法が宿っている。今あるつながりを切らないようにする魔法ではなく、出逢えた人とさらにつながるための魔法が。

「芹沢さんも、毎日仕事教えてくださって、ありがとうございます、ですよ。」

「ちょっと、とってつけたように言わないでよ。」

 最後の唐揚げを食べ終わった大野君が、えへへ、と笑う。大野君の笑顔が無邪気なのは、捨てられたり取り残されたり、という発想がないからかもしれないし、たとえあったとしても、そこに不安も恐れもないからかもしれない。

「でも、ありがとう。」

 私も、言っていきたい、と思った。勇作との1年間とか、勇作にされたことを、冷静に振り返るのはまだ難しいけれど。今から出逢ってくれる人、自分に「ありがとう」を向けてくれる人がいるならば、そのときはとびきりの「ありがとう」を返していきたい。

「大野君って、唐揚げ本当に好きなんだね。」

「大好きですよ! 都内の唐揚げ専門店を廻るのが趣味なんです。」

「ほんと? 今度おすすめのとこ紹介してよ、奢るからさ。」

「ほんとですか、ありがとうございます!!」

 私は笑う。無意識ではなく、心から。

 よく晴れた火曜日の昼休みが、もうすぐ終わる。

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